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3月の歴史事件簿
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桜 田 門 外 の 変 
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「開国か攘夷か」をめぐり,世の中が騒然としていた安政7年(1860年)
3月3日,幕府閣僚のトップが不満を抱く浪士たちに襲われ命を落とすとい
う,前代未聞の事件が起きた。「桜田門外の変」である。

凶刃に倒れたのは,彦根藩11代藩主・井伊直中の庶子(十四男)として部
屋住みの身から幕閣の最高実力者である大老に登り詰めた井伊掃部頭(かも
んのかみ)直弼。斬ったのは,直弼と対立する水戸藩を中心とする18名の脱
藩浪士たちである。

井伊直弼といえば,「安政の大獄」で吉田松陰や橋本左内など多くの有能
な志士を処刑したり,天皇の勅許なく日米修好通商条約を締結するなど,強
権政治を断行したことであまり評判は芳しくないが,日本の針路を開国へ導
いた点は評価すべきであろう(国を挙げて攘夷を実行していれば,他のアジ
ア諸国のように欧米列強の餌食となっていたかもしれないからである)。

この日,直弼は午前9時過ぎ,季節はずれの大雪が降りしきる中,登城す
るため警護の武士およそ二十数名,足軽など約四十名を供に,駕籠で井伊家
の屋敷から桜田門へと向かっていた。

異変が起こったのは,行列が桜田門に差し掛かろうとしたときである。大
名の登城を見物する武士の一団の中から訴状を持った一人の男が行列の先頭
に近づき,いきなり供の者に斬りつけた。曲者の出現に,警護の彦根藩士た
ちがとっさに行列の先頭に駆け寄った瞬間,一発の銃声が轟きわたる。銃弾
は警護が手薄になった直弼の駕籠に向けて発射され,直弼の腰から太股を貫
通した。

銃声を合図に,行列見物を装っていた過激派の浪士たちは,一斉に駕籠を
目指して斬り込む。警護の武士たちもただちに臨戦態勢に入るが,大雪で刀
に雨具をかぶせていた上,合羽を着ていたためすぐに応戦できず,次々に斬
り伏せられていく。そして,ついに駕籠を守る者がいなくなったとき,浪士
の一人が負傷して動けなくなっていた直弼を駕籠から引きずり出し,その首
を刎ねた。わずか数分の間の出来事であったという。

幕府は,威信を守るため直弼の死を病気によるものと発表し,暗殺された
ことを隠そうとした。しかし,世間の目をごまかすことはできず,「いい鴨
(井伊掃部)と雪の寒さに首を絞め」「いい鴨(井伊掃部)を網で捕らずに
駕籠で捕り」といった戯れ歌が広まり,幕府の権威は失墜する。

その後,老中となり幕政を主導した安藤信正も,2年後の文久2年(1862
年)1月に江戸城坂下門外で水戸浪士に襲われ負傷するなど,暴力によって
政治の状況を変えようとする風潮が強まり,幕末期には暗殺が横行するよう
になった。

                                                     (古木尾 忍)
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